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ボーイスカウトの始まり

 20世紀の初め(シャーロック・ホームズの時代です)、イギリスの社会は人口爆発や外国と争いなどで、青少年の心には荒廃が見られました。子供たちの健全な成長を願っていたロバート・ベーデン・パウエル卿は自分の軍人時代の斥候(スカウティング)経験を生かした教育方法を発案しました。1907年、彼はブラウンシー島に20 人の少年たちを集めて実験キャンプののち、1908年にボーイスカウトを創設しました。同年、ベーデン・パウエルは『スカウティング・フォア・ボーイズ』を著し、青年の人格・市民性・肉体的発達を目的としたスカウト教育法について記述しました。本は子供たちの心を捉え、多くの少年たちがスカウティングに参加し、1909年に「無名スカウトの善行(下記エピソード1)」により、アメリカに伝わり、スカウティングは急速に世界の青少年団体へと成長していきました。なお、ベーデン・パウエルは武士道(Bushido:新渡戸稲造著1900年刊、下記注2参照)をスカウティングに取り入れたと述べています(The first U.S. Scout Handbook ,Seton and Baden-Powell 1911)。

日本でのはじまり

 日本にスカウティングのことが知られたのは1908年であり、アメリカとほぼ同時に日本に伝わっています。当時、日英同盟を通じ日本とイギリスは関係が深かったことが分かります。1911年(明治44)、学習院院長だった乃木希典大将はイギリスでベーデン・パウエル卿と謁見(参考資料)ボーイスカウトの訓練とその精神性を称賛しています。乃木大将は同年、国内最初のボーイスカウト式のキャンプを藤沢の海岸で実施しました。その後、多くの人の努力によりスカウト活動の有用性が認められ、1916年(大正5)には後藤新平男爵を初代総長として、少年団日本連盟が設立されました。後藤氏は自身でヨーロッパ来訪中にボーイスカウトの訓練を見て感動したと言われています。また、後藤氏は自治三訣「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そしてむくいを求めぬよう」というモットーを提唱しました。当時から現在まで、その精神はほとんど変わっていないことが、古い資料からも分かります(国会図書館資料1資料2資料3)。その後、数年のうちに少年団は日本全国に広がりました。第二次世界大戦で活動は中断されますが、その精神は行き続け(下記エピソード2)、1947年(昭和22)に日本ボーイスカウト連盟が設立され、現在に至ります。

【歴史のエピソード1】1909年秋のロンドンで、シカゴからきた出版業者ウィリアム・ボイスは、ロンドン名物の濃霧のせいもあり、道に迷って困り果てていた。その時、「何かお役に立つことがありますか。」と少年が声をかけた。 ボイスが、行き先がわからないことを伝えると、少年はボイスの荷物を手にとり、先にたってボイスを案内した。無事目的地に着いたボイスは、習慣的にチップをあげようとポケットに手を入れた。しかし、「私はボーイスカウトです。私に一日一善をさせてくださってありがとう。スカウトは、他の人を助けることでお礼はもらいません。」と言い、名も告げずにニッコリ笑って立ち去った。アメリカに戻ってから当時の大統領ウィリアム・H・タフト(第27代)などにこのことを話した。これがきっかけになり、1910年2月8日にアメリカのボーイスカウト運動が発足することとなった。

【歴史のエピソード2】第二次世界大戦末期、戦場で負傷し身動きできなくなった米軍兵士が日本兵と遭遇した。意識を失った彼を日本兵は殺さず、傷の手当てをして立ち去った。米軍兵士の手元に残されていたメモには、「私は君を刺そうとした日本兵だ。君が三指礼をしているのをみて、私も子供の頃、スカウトだったことを思い出した。どうして君を殺せるだろうか。傷には応急処置をしておいた。グッド・ラック」と英語で記されていた。スカウトだった米軍兵士は、死に瀕して無意識に三指の敬礼をしていたのであった。戦地から帰った兵士の父親がアメリカのスカウト連盟にこのエピソードを報告し、米国スカウト連盟事務局長が日本でも広報誌や新聞などで探す努力をしたが、ついに名乗り出る者はいなかった。この日本兵は戦死したのではないかと言われている。のちに、この波紋は日本中のスカウトの募金運動にまで発展し、無名のスカウト戦士の記念像が「子供の国(神奈川県)」に設置された。

以下、日本兵士が残したメモ内容

Dear you, 
 When I went to kill you with my bayonet, you unconsciously saluted me with three fingers. I understood you are a brother Scout.  I was a Japanese Boy Scout.  We are brothers.  I cannot kill my Scout brother.  You fought bravely against my unit, and you were wounded. Soldiers who are injured become non-combatants.  My country follows Bushido, theSamurai’s Code of Honor, like your knights in the middle ages.  Samurai never kill injuredSamurai.  

It is amazing that you are a real American soldier, a bitter enemy to me.  I nursed yourinjury.  Sorry, I did not have satisfactory medicines.  Good luck!  In better times, maybe wewould have met at a Scout Jamboree.  

注1:上記英文は、ネット上にいくつかのバージョンが存在します。これが原文であるという検証はできていません。調査を続け、原文が見かった場合は差し替えます。

注2:当時BPが知り得た武士道は新渡戸氏が1900年に英語で出版したBushidoのことであり、当時のベストセラーであったBushidoを読んだBPが自分の精神論と重ねたとみるのが正しいように思います。新渡戸氏がBushidoで語ったのは、日本人の道徳的な精神性の起源であり、BPが感じたのは表面的ではない精神世界での共感だったと思われます。しかも、Bushidoには、Samuraiは西洋のKnightsのようなもので、彼らには明文化されていない掟(unwriten code)があったことが記載されています。このことはHandbook of Boyscout(1911)にも記載され、新渡戸の影響を受けていたのは間違いないと思われます。