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後藤新平の幻の偉業

日本少年団連盟(現日本ボーイスカウト連盟)初代総長の後藤新平氏が偉大な人物であることはご存じだと思いますが、実は日本の子供の命を数十万の単位で救った人物であるかも知れない可能性を、ごく最近(2017年)、土木史の研究家の竹村公太郎先生が指摘しました。東京市に近代的な水道事業が始まった明治24年以来、生活は便利になりましたが、乳幼児の生存率は低く、やや悪化の傾向にありました。それが、大正10年(1921年)を境に急速に改善しています。その時から水道の塩素殺菌が始まり、感染症の蔓延がなくなったのが主な理由です。では、誰が日本で塩素殺菌を始めたのでしょう? 日本政府の記録に残っていないため、専門家の間では長年の謎でした。

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竹村先生の仮説によると、その人物は、

1.塩素が殺菌に使えることを知っていた

2.水道が殺菌されていないことを知っていた

3.国家最高機密である大量の塩素の存在を知っていた

4.その国家機密を民間用に転用する権限を持っていた

という4条件を満たすはずとしています。

これに該当する人物が日本にたった一人存在し、後藤新平氏であると言うのです。

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後藤新平氏はドイツ留学した優秀な医者であり、とりわけ細菌の研究者です。ですから、塩素殺菌の方法について論文等を読んでいても不思議はありせん。また、大臣としてシベリア出兵に関わった政府の重鎮です。ですから、毒ガス兵器として開発された液体塩素が使われずにそのまま残っていることを知っていたはずです。そして、東京市長を大正9年と10年に務めています。つまり、4条件を満たし、彼である可能性が非常に高く、逆に言えば、彼がこの件と無関係とは考えられないと竹村先生は結論づけています。しかしながら、水道局にも東京都にも資料が残っていないため、検証は出来ていないそうです。この偉業は幻かも知れませんが、もし、事実ならば、後藤新平氏は我々の命の恩人ですね。

なお、水道の塩素殺菌は1893年ドイツの研究所で発見され、アメリカでは1910年頃から実用化が始まっていました。ですから、たまたま技術が導入された時期に後藤新平氏が東京市長をしていたという偶然かも知れません。その可能性も否定できませんので、念のため書き添えます。

出典:地形で読み解く明治維新、竹村公太郎著(2017年配信、月刊三橋会員向けコンテンツ)、㈱経営科学出版刊

この度、㈱経営科学出版の特別なご厚意により、本ページに限り特別に掲載許可を頂きました。本内容のコピー等はご遠慮ください。また、コンテンツの入手方法については経営科学出版にお問い合わせください。

文書作成責任者 市川道教