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乃木希典大将とボーイスカウト

乃木大将がボーイスカウトを推奨していたとWikiなどに記載されていますが、具体的にどんなことなのか調べてみました。国会図書館の検索でいくつかヒットし、それらを読んでみたところ、詳細に記された書物を見つけました。

本書は明治45年2月に発行された修養訓というもので、学習院院長としての思いを記した書籍です。人生の様々な経験から得た教訓や人生観が回想録のように語られています。ボーイスカウトのくだりは明治44年に乃木希典大将が英国に視察に行った際の日記風に記載されています。ベーデンパウエルやボーイスカウトの教育に感銘を受けたことが分かります。そして、最後に精神が大切であり形式的な真似は意味がないとの主旨を記し、ボーイスカウトの何たるかを基本から学ぶことを勧めています。明治45年といえば、9月13日の明治天皇の大葬の儀の日、乃木大将は静子夫人と共に自刀される数か月前です。おそらく遺作だと思われます。

国会図書館にて、すべてのページが閲覧できます。ここではボーイスカウトについて記載された数ページを掲載します。

是非、原文をお読みください。この時代の日本人がいかに近代国家を築こうとしていたかが分かると思います。(読みやすい、現代かなづかいにしたものがページの下方にあります。)

以下、初版本の画像、画像をクリックすると、大きく表示されます

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1 書籍の108頁

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10 書籍の最後

 

画像では読みにくいかも知れませんので、文字お越しを致しました。できるだけ原文に忠実に、現代的かなづかいにしました。また、常用的ではない漢字や難しい熟語に注釈を入れました。

人格主義の英国教育とボーイスカウト


英国における学校教育の大目的は、学術技芸の究明というよりは、むしろ真正な人物をつくり、いわゆる紳士を養成するのが、第一の眼目とされている。実に英国人ほど、人格の養成、品性の陶治(とうや:育成)ということに向かって専念注意している国はほとんどないと言ってよい。
陸軍中将ボーデンパウエル氏の発案にかかる、先年英国で組織せられたボーイスカウトもやはり、これらの目的にほかならぬ。
さて、はじめボーイスカウトの組織せらせた時、予のところへもその旨を通知してきたり、かつ、その組織、法律等に関し説明を加えた書類を寄せられたので、すこぶる面白い有益な企てであると思っていた。
そこで、昨夏英国皇帝戴冠式参列のため、遣英宮殿下に扈従(こじゅう:貴族に付き従う)して彼国へ行くに際し、少し暇が得られたら、是非一度実見の機会を得たいと考えていたが、かの有名なキチナー元帥と会いした節に、遇々このボーイスカウトの話が出たので、予は早速に「一度見せては頂けまいか」と希望を述べると、同元帥も「それは当方から望むところだ、拙者も一部隊を率いているから、それも是非見てくれ」とのことであった。
ところが、キチナー元帥は戴冠式に参列すべき軍隊の総指揮官で眼の回るほど忙しくはあったが、繰り合わせてこれに行くことに決めた。この時、我が大使館付き武官の稲垣大佐も同行してくれて、定めの場所へ行くと、およそ500名あまりの少年が集合していた。ちょうど予の馬車がそこへ着いたときは、英国皇帝陛下から御差遣(さけん:派遣)しになった侍従武官が少年に向かって、訓示をしておられるところであった。そしてそれが終わると、次に発案者であり、かつ、この一隊の隊長たるパウエル中将が同じく立って訓話を試みられた。訓話の内容は、聞かなかったから知らぬが、それの終わった後、中将は予に対して挨拶せられ、予もまたそれに答礼したが、程もなく各種の演習が開始せられた。
このボーイスカウトの事業はなかなか興味に富めるものである。得に感すべきは、規律が如何にも厳粛で、下手な軍隊の不活発な運動を見ているよりは、遥かに気が利いていることである。最初におこなったのは、天幕を張る競争であったが、これを張り終わると、今度は軍隊で行う通りに上官がいちいちそれを検閲する、さて検閲が済むとすぐに天幕を畳んで、さらに架橋の演習をやる。それかと思えば、また一方では隻脚(せききゃく:一本足)の競争を始めたり、あるいは車を引いて、競争を試みたりするのであった。
これらの競争は極めて実用的のものである、すなわち車に種々の道具を積んで行くので、野外で炊事をする道具や食用に供する物資を運搬するものである。また車は各組毎にその構造を異にしこれを分解すると、色々に利用することができる仕組みになっている、すなわち、あるものはたちまち梯子になり、あるものはたちまち舟となる類で、その自由自在なる変化の状は、誠に便利を極るものである。また障害物競争もあったが、これは我が国でやるものと大同小異であった。その他自転車の運搬とか、命令の伝達など、各種の軍隊式の行動が絶えず行われた。
さて、このボーイスカウトに属する者は、いずれも一定の制服を着用し、かつ長い棒を携帯しているが、その棒でもって一種の体操が済むと、今度はさらに赤十字社や陸軍の衛生隊などでやるところの救護演習をはじめた。これは自分が怪我をしたときに如何に処置する、また他人が負傷した場合には如何に手当をしてやれば良いかということを知らしむる目的で、あるいは担架で運搬し、あるいは包帯を施すなど、見ていても、誠に気持ちの良い程キビキビした行動をとった。このほかに幅跳びだの、高跳びだのという運動もあったが、それよりも珍しく思ったのは、蓆(むしろ)を織る競争であった。さて、何が故に蓆を織る稽古が必要か、それは一朝露営をする際に臨み、如何にすれば藁(わら)を節約し、以て必要なものだけを使うことを得るかということを研究せしめるものである。なおその他にも色々の運動があったけれども、予は他に用事があったので、遂に全部は見ないで帰った。
それから、キチナー元帥の率いる少年隊は、戴冠式の終わった後に、ハイド・パークに於いて、同じく演習をやったが、この時は予は東郷大将等と一緒に見物した。もちろん、その指揮者たるキチナー元帥も来ておった。ここでは、以前にパウエル隊の如き運動はせずして、ただ整列して軍隊の閲兵のような隊形を作り、一二回体操をしたのみであったが、その終始の挙動は、極めて勇壮活発であるのみならず、厳然として一糸乱れざるの規律が立っていて、実に予をして「到底訓練の十分ならざる軍隊などの及ぶところでない」とまで思わしめたのも無理からぬことであろう。とくに最も深く感動したのは、このボーイスカウトは「有終の美」といういうことが、遺憾なく備わっているという点である。これは我が国でもしばしば聞くところであるが、事実はこれに反し、時々、尻切蜻蛉(しりきれとんぼ)のようなことがあって、世の物笑いの種となる。然るにボーイスカウトの仕事に至っては必ず立派な終わりがある。ここに例を挙げれば、かの徒歩競争の如き、わが日本では、第一着から第三着までくらいは、もちろん一生懸命で駈けるけれどもそれがもはや4,5,6となると、申し合わせたようにいづれも、途中で馳することをやめてしまう。後れても構わぬから、自己のできる限りの全力をつくすというようなことは、とても見られない。これでは全く勝敗そのものを唯一の目的としているのであって、賭博の類となんら異なるところがないではあるまいか。然るに、さすがはこのボーイスカウトである。皆が皆まで如何に刻々の形勢が変っても、決して、半途で止めるというようなことはなく、最後まで忠実に駈ける。審判者もまたこの点に重きをおき、すなわち単に時間的に早く駈けつけた者を賞するばかりではなく、仮に後れてもその全力をつくしたものをも賞するという、批評の加え方である。然りこの一例が既に明らかに英国教育の美点を説明して余りがある。
英国の習慣として、一週中の日曜日には、商家も一様に戸を閉めて、業を休むという国風である。無論子供は遊び暮らすのであるが、しかも時間をいたずらに無益に費やされるのは、教育上よろしくないというので、すなわちこのボーイスカウトなるものを組織し、以て土曜日の午後から、野外に遊動して軍隊式の動作をいたし、夜は野営を張って、日曜の午前に帰って来るということを定めてある。而してそれぞれの隊員たる少年は、まず13・4才から17・8才に至るまでの年齢であるが、その年頃は人の一生に於いては最も貴重なる時期であるのに、無意味な遊戯、不利益なる運動のために一日をいたずらに過ごさしむるのは、策の特たるものでないというので、さてこそこの計画が企てられることになったのである。
キチナー元帥は、予に向かって語って曰く、「由来、ボーイスカウトは、少年をして、休日を有用に費消しするの間に、組織せられたもので、拙者を始め年を老った軍人たちが、これを指揮監督している。はじめは倫敦(ロンドン)だけで行われたが、今では英国一般に行われている。」と。
如何にも良い趣意で、これらの英国少年は、必ずや他日規律のある善良な英国臣民となり、祖国のために、畢世(ひっせい:終生)の功を致すことであろう。
聞く、ボーイスカウトが英国に出来て以来、これに倣って、ロシアにも、ドイツにも引き続きこれが組織されたという。また現に先頃、我が横浜においてもその組織を見たということである。なるほど、服装は金を出せばできる。隊列を作ることも教えさえすれば出来るに相違ない。しかし、いくら形式ばかり整っても、もし肝腎な精神が欠けていたならば何にもならぬ。由来日本人は真似が上手であるが、外見や形式の模倣のみは、むしろ無くもがなである。実に統率者も、被統率者も、よくその目的とするところを領悟し、依ってもって、精神的に行動しなければ、断じて効果の挙がるものではないと信ずる。
畏くも戴冠式後、英国皇帝陛下には、数万の少年軍を集めて、その検閲を遊ばされたと承わる。さぞ少年隊も、面目を施したであろう。「形式よりも精神!」この一語は実に、我々が読者とともに拳々服膺(けんけんふくよう:常に頭に置いておく)すべき言葉である。熟ら々々(つらつら)現世を洞観するに、一見、表面は如何にも整頓しているようであるが、一度裏面を窺えば、その乱雑の状、眼を覆うばかりで、あちらもこちらも、ことごとく孔だらけの有様である。畢竟(ひっきょう:つまるところ)形式の末枝に流れた弊である。繰り返していう、枝葉の形式はどうでもよい、ただそれ精神が充実していなくてはならぬ。錦に包んだ馬糞と襤褸(ぼろ)に包んだ珠と、試みにそのいづれを採るかといわば、誰しも珠の方へ手を出すに相違ないものである。形式の美にして、内容の空なるものは、これまさしく、錦包みの馬糞である。内容充ちて形式の粗なるものは、とりもなおさず襤褸包みの珠である。形式よりも精神の尊きとは、あえて多言をもちいず炳乎(へいこ:とても明らかなこと)として明らかである。

修養訓(明治45年刊) 乃木希典述より